ダイエットにりんごを食べるなら、小さく切るほどよいのか。一口の量と同じ量あたりの咀嚼回数を調べた若い女性の研究を軸に、切り分けた果実とペーストを比べた子どもの試験も読む。噛み方、空腹感、その後に食べる量を区別し、自分に合う切り方を考えるための視点を示す。
まな板の上で、りんごのくし形をさらに半分に切ろうとして手が止まる。大きなくし形のままか、フォークでつまめる小さなかけらか。包丁を置く直前に「細かくすれば、ゆっくり食べられるだろうか」と考えたことはないだろうか。
答えの芯は、皿の上の大きさより、実際に口へ入る量にある。若い日本人女性を対象にした研究では、一口の量が少ないほど、同じ量の食品を食べる間の咀嚼回数が多いという関係が示された。ただし、これは小さく切ったりんごで体重が減ると確かめた結果ではない。[4]
また、子どもが切り分けたりんごとアップルソースを食べ比べた試験では、果実の形で噛み方は変わったが、空腹感とその後の摂取量には違いがなかった。[2] 子どもの結果を18〜39歳の女性にそのまま当てはめることはできない。既存記事「夜のりんごは皮をむくと早食いになる?噛みやすさと補食の量を分けて考える」に皮の有無の論点を譲り、ここでは切ったかけらと実際の一口のずれを考える。

切った一片と、口に入れる一口は別である
りんごの一片をそのまま口に入れる人もいれば、手に持って少しずつかじる人もいる。大きなかけらから少しずつかじれば、実際の一口は小さくなる。反対に、小さく切ったものをまとめて口へ運べば、見た目ほど一口は小さくならない。この区別をしないまま「何等分がよいか」を決めると、皿の写真だけを整える話になってしまう。食べる動作まで含めて、切り方を考えたい。
研究でいう一口の量を読むときも、包丁で作った形と口に入った量を混ぜないことが大切だ。日本人女性の研究が比較したのは、ご飯とりんごを食べる際の一口量と咀嚼回数である。人による違いだけでなく、同じ人の一口量を変えた場合にも注目している。[4] 読者が台所へ持ち帰れる問いも、「切り口は美しいか」ではなく「自分はこれをどう口へ運ぶか」になる。
切り方を試すなら、かけらの数を達成目標にしない方が話は明快だ。フォークに載せた量は無理がないか、ひと口に詰め込んでいないか、かじりながら食べる方が自分には自然か。まずはその違いを見るための工夫として考える。これは研究で使われた切り方を再現する処方ではなく、一口量という着眼点を日常へ移す提案である。[4]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
若い女性の研究が数えたのは「同じ量あたり」である
中心になるのは、健康な日本人女性50人、平均年齢19.5歳を対象にした観察研究だ。食品はご飯とりんごで、参加者自身が噛んだ回数を数えて報告した。まず普段の一口量と咀嚼回数の関係を調べ、さらに普段の半分、普段どおり、普段の1.5倍の一口量を比較した。[4]
結果は、どちらの食品でも一口量が増えるほど、同じ量あたりの咀嚼回数が少なくなるというものだった。人と人を比べた場合にも、同じ人の中で比べた場合にも、一口量と噛み方の関係が示されている。[4] 誰かがたくさん噛む人だからという説明だけで片づけず、自分の口に入る量にも目を向ける理由になる。
ここで読み違えやすいのは「一口につき何回噛んだか」と「同じ量を食べるのに何回噛んだか」の違いである。大きな一口を長く噛んだとしても、口に入った量も増えている。比較の分母が食品の量なら、口を動かした回数だけを眺めても判断できない。研究の結論は、小さい一口ほど同じ量あたりの咀嚼が多いという関係である。[4]
したがって、この結果から決まった咀嚼回数を全員に課す必要はない。研究の対象は若く健康な女性であり、回数は自己申告だった。[4] 自分の噛み方を観察する材料としては役立つが、年齢や食べやすさの違いを飛び越えて、誰にでも同じ回数や同じ寸法を指定する根拠にはならない。
夕方、仕事の連絡を読みながらりんごを食べる場面を考えてみる。画面へ目が戻るたびに、次のかけらを口へ入れているかもしれない。ここで試したいのは、頭の中に咀嚼のカウンターを増やすことより、今の一口がどれほどかを見ることだ。回数の成績表を作るより先に、比較している量をそろえる。それがこの研究を読むときの実用的な入口になる。[4]
この研究の観察には、自分で回数を数えるという特徴もある。[4] 食べながら数える作業が苦手な人にとって、数え忘れたことまで食事の失敗と受け止めるのは本末転倒だ。家庭で試す工夫は研究と同じ測定でなくてもよいが、その場合は自分の感想と研究の測定値を同列に扱わない。「今日は口に運ぶ量が多かった気がする」という気づきと、計測して比較した結果には距離がある。
また、人と人の比較だけなら、もともとの食べ方の違いが結果に重なり得る。同じ人の一口量も比較した点は、この論文の読みどころだ。[4] 自分にも同じ変化が起こると保証する材料ではないものの、友人の噛む回数を借りるより、自分の普段の食べ方を出発点にするという発想にはつながる。隣の席の人の口は、自分の測定器にはならない。

噛む時間が延びても、その後の食事量は同じだった
一口量と咀嚼の関係を知ると、「ならば、食べる量も減るはず」と考えたくなる。そこで立ち止まる材料が、8〜10歳の子ども44人を対象にした午後の間食の試験だ。切り分けたりんご、またはアップルソースを先に食べ、10分後に甘味を加えたカッテージチーズを自由に食べる条件で比べた。[2] 対象が子どものため、18〜39歳の女性でも同じ結果になるかは、この比較だけでは判断できない。
生のりんごを食べたときは、アップルソースより口の中で食品に触れる時間が長く、一口量は少なかった。ところが、本人が報告した空腹感にも、その後に食べた量にも違いは認められなかった。[2] 口の中で起きた変化は確かでも、そのまま次の食品を食べる量へつながらなかった。
この試験は、りんごの形を変えても噛み方は同じだったという結果ではない。噛み方の変化と摂取量の変化が別だったのである。[2] 「違いがあった項目」と「違いがなかった項目」を一緒にしてしまうと、小さく切る工夫を過大評価することも、口の中の違いまで無視することも起こる。
さらに、この比較は生のかけらとソースである。[2] 普段のりんごを少し薄く切る場面と、果実をソースに変える場面は同じではない。形の違いが大きい試験で起きたことを、そのまま細かな切り幅の優劣へ置き換えることはできない。台所の包丁が動く範囲と、研究の比較条件の範囲を見分けたい。
対象が子どもである点も重要だ。試験では、切り分けたりんごを食べる速さが噛む難しさと関係していた。[2] ゆっくり食べているように見えるときも、心地よく味わっているのか、扱いにくさがあるのかは別の問いになる。速さだけを良し悪しの物差しにせず、食べやすさも一緒に見ておく必要がある。
食べる速さを、体型の性格診断にしない
普通体重の成人27人と過体重・肥満の成人27人を、性別や年齢、食事を控える傾向などをそろえて比較した小規模研究がある。香辛料入りのご飯とアップルパイ風味のヨーグルトを別の日に食べてもらい、食べる速さや一口量などを調べた。[1] 若い女性に限定した比較ではなく、18〜39歳の女性にそのまま当てはめられるかは別に検討する必要がある。
ご飯の平均一口量は、過体重・肥満の群で10.3g、普通体重の群で8.7gと差があった。一方、それ以外の食行動や、鼻へ抜ける香りの放出には有意差がなく、食行動とBMIの相関も認められなかった。BMIは体重と身長から算出する体格の指標である。[1] 一部の差だけを抜き出して「この体型の人はこう食べる」と決める読み方は合わない。
同じ人には食品をまたいで一貫した食べ方が見られたが、それを体重による集団の特徴と同一視できない、というのが研究の慎重な見方だ。[1] 大きな一口を見てその人の体型の理由を言い当てた気になる必要はない。自分の食べ方を試す話と、他人の食卓を採点する話も分けておこう。
数字で読む一口量とりんごの試験
50人:ご飯とりんごの一口量と咀嚼回数を調べた、健康な日本人女性の人数である。[4]
0.5倍・1倍・1.5倍:同じ人の中で比較した一口量。全員共通のグラム数ではない。[4]
44人:切り分けたりんごとソースを比較した、8〜10歳の子どもの人数である。[2]
10分:りんごを先に食べてから、次の食品を自由に食べるまでの間隔だった。[2]
10.3gと8.7g:成人の体重群で差があったご飯の一口量。りんごの適量を示す値ではない。[1]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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